世界の終わりとハードボイルドワンダーランド

シーズン初めの野球場の芝生を思わせるような

私は彼女の姿を頭の中に思い浮かべてみた。彼女のはシーズン初めの野球場の芝生を思わせるような色あいのグリーンのブレザーコートを着て、白いブラウスに黒のボウタイを結んでいた。たぶんそれがレンタ・カー会社の制服なのだ。そうでなければ誰もグリーンのブレザーコートを着て、黒のボウタイを結んだりはしない。

十月革命の記録映画みたい

それから私は売店でポップコーンを十袋買い、そのうちの九袋を鳩のために地面にまき、残りの一袋をベンチに座って自分で食べた。鳩の群れが十月革命の記録映画みたいにいっぱいにあつまってきて、ポップコーンを食べた。

大みそかの南極基地

デューク・エリントンの音楽もよく晴れた十月の朝にぴたりとあっていた。もっともデューク・エリントンの音楽なら大みそかの南極基地にだってぴたりとあうかもしれない。

まるで鋭利な刃物で奥の方をえぐりとったように

十月三日、午前七時二十五分だ。月曜日。空はまるで鋭利な刃物で奥の方をえぐりとったように深くくっきりと晴れわたっている。人生をひきはらうには悪くない一日になりそうだった。

まるで閉館するホテルからソファーやシャンデリアがひとつひとつ運びだされているのを眺めているような

私は受話器を置いてから、もう二度とあの娘に会えないことを思って少し淋しい気持ちになった。まるで閉館するホテルからソファーやシャンデリアがひとつひとつ運びだされているのを眺めているような気分だった。ひとつずつ窓が閉められ、カーテンが下ろされていくのだ。

まるで小さな不確かな子供のよう

白いTシャツと小さな白いパンティーだけをまとった彼女の細い体はまるで小さな不確かな子供のように見えた。

あしかの水球チームに一人だけ人間がまじったみたい

「選択のしようがないから解決しているとも言えるし、自分で選択したわけでじゃないから解決したことにはならないとも言える。なにしろ今回の出来事に関しては僕の主体性というものはそもそもの最初から無視されてるんだ。あしかの水球チームに一人だけ人間がまじったみたいなものさ」

宮廷の専属接骨医が皇太子の脱臼をなおすときのような

よくわからない、そうかもしれない、と私が頭の中でつぶやいていると、ウェイターがやってきて宮廷の専属接骨医が皇太子の脱臼をなおすときのような格好でうやうやしくワインの栓を抜き、グラスにそそいでくれた。

氷山の裏側みたいに

ゲーム・センターの騒々しさに比べると金物店の中は氷山の裏側みたいに静かだった。暗い店の奥のカウンターには眼鏡をかけた髪の薄い中年の男が座って、ドライバーで何かを分解していた.

もみの木のように

洋菓子屋の店員はもみの木のように背の高い女の子で、紐の結び方がひどく下手だった。私は背が高くて手先の器用な女の子に一度もめぐりあったことがない。しかしそれが世間一般に通用する理論なのかどうか、私にはもちろんわからない。

アクロポリスの遺跡でも眺めるみたいに

人々はみんな傘をさして歩いていた。傘を持っていないのは我々二人だけだった。我々はビルの軒先にたってアクロポリスの遺跡でも眺めるみたいに長いあいだ町の風景を茫然と眺めていた。

ビニール・ラップを何重にもかぶせたような

ビニール・ラップを何重にもかぶせたようなぼんやりとした色の雲が一分の隙もなく空を覆っていて、そこから間断なく細かい雨が降りつづいていた。

J.G.バラードの小説に出てくるみたいな

一日か二日からりと晴れてくれればそれでいいのだ。そのあとでJ.G.バラードの小説に出てくるみたいな大雨が一ヶ月降りつづいたって、それは私の知ったことではないのだ。

まるで甲殻動物が季節のかわりめに殻を脱けだすような

十分ばかりあとで、彼は鍋を両手にかかえるようにして戻ってきてそれをストーヴの上に載せた。それからまるで甲殻動物が季節のかわりめに殻を脱けだすような格好で帽子とコートと手袋をひとつひとつ慎重に脱いでいった。

衰弱した小動物のように

テーブルの上には古い手風琴が衰弱した小動物のように身を縮めて小さく横たわっていた。

身寄りのない子供たちのように

スカートはぐっしょりと濡れて彼女の太腿に身寄りのない子供たちのようにぴったりとまつわりついていた。

白くてつるりとした中国野菜

彼女のふくらはぎは私に白くてつるりとした中国野菜を連想させた。

ドラマーが振り下ろそうとしたスティックを宙でとめて一拍置くような暫定的とも言えそうなかんじ

ドラマーが振り下ろそうとしたスティックを宙でとめて一拍置くような暫定的とも言えそうなかんじの一瞬の沈黙があった。

まるで誰かが巨大なロースト・ビーフをのっぺりとした壁に思いきり投げつけたときの音のよう

まるで誰かが巨大なロースト・ビーフをのっぺりとした壁に思いきり投げつけたときの音のようだった。扁平で湿り気があって、しかも有無を言わせぬ決意のようなものがこめられた音。

その小さな世界に完結したまま行き場所を失ってしまった一対の彫像のよう

僕はポケットから両手を出して、月の光の下でそれを眺めた。月の光に白く染まって手はその小さな世界に完結したまま行き場所を失ってしまった一対の彫像のように見えた。

春の熊のように

「(略)病院に入院したことある?」
「ない」と私は言った。私はだいたいにおいて春の熊のように健康なのだ。

干草をつんだ荷車がゆっくりと踏みこえていくような

傷は一定の時間をおいて鈍く傷んだ。腹の上を干草をつんだ荷車がゆっくりと踏みこえていくようなかんじの痛みだった。

TVドラマでいえば女主人公の友だちで、喫茶店でお茶を一緒に飲みながら「どうしたの?このごろなんだか元気ないじゃない?」とかなんとか質問するような

まあ美人の部類だったが、どこにでもありそうな顔だった。TVドラマでいえば女主人公の友だちで、喫茶店でお茶を一緒に飲みながら「どうしたの?このごろなんだか元気ないじゃない?」とかなんとか質問するような役まわりの顔だ。

元気の良い双子の男の子がその四本の足で私の限られた狭い想像力の枠を思いきり蹴とばしているみたい

私の腹の傷口は悪鬼のごとく傷んだ。元気の良い双子の男の子がその四本の足で私の限られた狭い想像力の枠を思いきり蹴とばしているみたいだった。

フォルクスワーゲン・ゴルフくらいの

誰も私の眠りをさまたげることはできない。私はトラブルの衣にくるまれた絶望の王子なのだ。フォルクスワーゲン・ゴルフくらいの大きさのひきがえるがやってきて私に口づけするまで、私はこんこんと眠りつづけるのだ。

インカの井戸くらい

私は目を閉じてインカの井戸くらい深いため息をつき、それからまた『赤と黒』に戻った。失ったものは既に失われたものだ。あれこれと考えたところでもとに戻るわけではないのだ。

外まわりの銀行員の皮かばんみたいに

聴いているだけで神経が擦り減ってしまいそうだった。私は首をぐるぐるとまわしてから、ビールを喉の奥に流しこんだ。胃は外まわりの銀行員の皮かばんみたいに固くなっている。

目覚めたばかりの原初の生物のように

僕はそこを立ち去る前にもう一度壁の姿を眺めた。壁は雪の舞う暗く淀んだ空の下で、その完璧な姿を一層際立たせていた。僕が壁を見上げると、彼らが僕を見下ろしているように感じられた。彼らは目覚めたばかりの原初の生物のように僕の前に立ちはだかっていた。

救済された魂みたいに

大男は次にヴィデオ・デッキを持ちあげ、TVのかどにパネルの部分を何度か思い切り叩きつけた。スウィッチがいくつかはじけとび、コードがショートして白い煙が一筋、救済された魂みたいに空中に浮かんだ。

ワインのコルク栓を眺めるのと同じような

大男は自分の破壊したドアを、ちょうど私が抜いたワインのコルク栓を眺めるのと同じような目つきでちらりと眺め、それから私の方を向いた。彼は私という人間に対してそれほどこみいった種類の感情は抱いていないように見えた。彼は私のことを部屋の備品か何かのように眺めていた。

引用:『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』 村上春樹