国境の南、太陽の西

かくれんぼをしている小さな子供のように

それはかくれんぼをしている小さな子供のように、奥の方に身を潜めながらも、いつかは誰かの目につくことを求めていた

まるでレストランのいちばん奥の静かな席に、そっと予約済の札を立てておくように

彼女に対して僕の心の中の特別な部分をあけていたように思う。まるでレストランのいちばん奥の静かな席に、そっと予約済の札を立てておくように、僕はその部分だけを彼女のために残しておいたのだ。

母親がクラスの写真を見て、ため息をついて、「この子はなんていう名前? 綺麗な人ねえ」と言うようなタイプ

彼女はそれほど綺麗な娘ではなかった。つまり母親がクラスの写真を見て、ため息をついて、「この子はなんていう名前? 綺麗な人ねえ」と言うようなタイプではなかったということだ

まるで、白昼に無音の雷に打たれたようなもの

最初に彼女と顔を合わせたとき、僕は自分でも何がなんだかわけがわからないくらい激しく彼女に引かれることになった。それはまるで、白昼に無音の雷に打たれたようなものだった。

彼女が四十二歳で、子供が三人いて、お尻に二股の尻尾がはえていたとしても

彼女にもまた一応ボーイフレンドがいた。でもそんなことは僕らにとって何の妨げにもならなかった。もし彼女が四十二歳で、子供が三人いて、お尻に二股の尻尾がはえていたとしても、気にもとめなかっただろうと思う。

まるで不吉な予言が、ことあるごとに頭に蘇ってくるみたい

僕は眠れない夜に、よく彼の顔を思い出す。まるで不吉な予言が、ことあるごとに頭に蘇ってくるみたいに。

まるで玉葱の薄皮のように軽そうなカーディガン

まるで玉葱の薄皮のように軽そうなカーディガン

まるで美しい文章を吟味するみたいにカクテルを少しずつ飲んでいた

彼女はカウンターに頬杖をつき、ピアノ・トリオの演奏に耳を澄ませ、まるで美しい文章を吟味するみたいにカクテルを少しずつ飲んでいた

まるで噂でしか聞いたことのない極めて珍しい精密機械を前にしたときのように

僕は長いあいだ、まるで噂でしか聞いたことのない極めて珍しい精密機械を前にしたときのように、言葉もなく彼女の顔を見つめていた。

そのへんにある何もかもをお盆に載せてもっていきたくなるような笑顔

それは本当に素敵な笑顔だった。そのへんにある何もかもをお盆に載せてもっていきたくなるような笑顔だった。

風のない日に静かに立ちのぼる小さな煙のような微笑み

そしてかすかな微笑を口もとに浮かべた。風のない日に静かに立ちのぼる小さな煙のような微笑みだった。

彼女の目はどんな風も届かない静かな岩陰にある深い湧水のたまりのように

僕は島本さんの目を見た。彼女の目はどんな風も届かない静かな岩陰にある深い湧水のたまりのように見えた。

シャンプーの宣伝に出てきそうな綺麗な髪

六階でエレベーターを下りると、受付にはシャンプーの宣伝に出てきそうな綺麗な髪の女の子が座っていて、僕の名前を電話で義父に伝えた。

気取ったフランス料理店の支配人がアメリカン・エクスプレスのカードを受け取るときのような顔つき

身をかがめて彼女の額にキスした。彼女は気取ったフランス料理店の支配人がアメリカン・エクスプレスのカードを受け取るときのような顔つきで僕のキスを受け入れた。

どこか遠くの場所から吹いてくる柔らかな風のように

「そうね」と言って、いつものあの軽い微笑みを顔に浮かべた。その微笑みはどこか遠くの場所から吹いてくる柔らかな風のように思えた。

生命のしるしのない乾いた土地にひとりで取り残されてしまったように

僕は窓の前に立っていつまでも外の風景を眺めていた。ときどき自分が、生命のしるしのない乾いた土地にひとりで取り残されてしまったように感じられた。

まるで壁に書かれた大きな文字を読み上げているような声

「可哀そうな人」と彼女は言った。まるで壁に書かれた大きな文字を読み上げているような声だった。本当に壁にそう書いてあるのかもしれないなと僕は思った。

世界じゅうの青という青を集めて、そのなかから誰が見ても青だというものだけを抜き出してひとつにしたような青

空の端の方に一筋青い輪郭があらわれ、それが髪に滲むインクのようにゆっくりとまわりに広がっていった。それは世界じゅうの青という青を集めて、そのなかから誰が見ても青だというものだけを抜き出してひとつにしたような青だった

字が書けそうなくらいくっきりとした雲

墓地の上にひとつだけ雲が浮かんでいるのが見えた。輪郭のはっきりとした、真っ白な雲だった。その上に字が書けそうなくらいくっきりとした雲だった。

引用:『国境の南、太陽の西』 村上春樹