村上朝日堂の逆襲

惑星直列とハレー彗星がかさなるほどの確率

これでもし世間の作家がみんなピタッと締め切りの三日前に原稿をあげてしまうようになったら―そんなことは惑星直列とハレー彗星がかさなるほどの確率でしか起こりえないわけだが―編集者の方々はおそらくどこかのバーに集まって「最近の作家は気骨がない。昔は良かった」なんて愚痴を言っているはずである。

半魚人に「今日は鰓とうろこがすれて痛い」と言われているのと同じ

ときどきつれあいが「今日頭が痛いのよ」などと言っているが、そう言われても「へえ、そう」としか答え用がない。そんなのは半魚人に「今日は鰓とうろこがすれて痛い」と言われているのと同じ事で、悪いとは思うけれど自分が経験したことのない肉体的痛み・苦しみというのは正確には想像することができないのだ。

道ばたで今まさに朽ち果てんとする雨ざらしの廃屋を眺めているような

窓口の手続きが済むのを椅子に座って待っていると必ず銀行のヒトが寄ってきて、「ボーナスの予定は何かお決めになっておられるでしょうか?」と訊いてくる。そんなもの決めているわけないから、「決めてない」と言うと、「それではこの定期口座にとりあえずお入れになりまして、なんのかんの」とはじめるから、「あの、ボーナスないんです」と言うと、相手は必ず<はっ?>といううつろな目で僕を見る。比喩を使わせていただくなら、道ばたで今まさに朽ち果てんとする雨ざらしの廃屋を眺めているような目つきである。

引用:『村上朝日堂の逆襲』 村上春樹

村上朝日堂 はいほー!

ジェイ・ギャツビイが見つめた海峡の向こうの緑色の灯火のように

でもオペラはまだまだ遥か遠くにあった。それは僕らにとってはまだ贅沢なものだった。かのジェイ・ギャツビイが見つめた海峡の向こうの緑色の灯火のように、それはずっと遠くにあった。

晩秋のリスみたいに

「有名であることについて」―なんだかひどいタイトルだ。でもこんなタイトルを見てそれだけで僕を厭味なやつだと思わないでほしい。僕はただでさえ晩秋のリスみたいにいろんな問題をせっせと抱え込んでいる人間なのだ。

マルク債の如く

フィッツジェラルドはやはりアルコール中毒で、経済観念ゼロで、借金だらけで死んだ。僕の人生とはずいぶん違う。そういう人たちに比べると僕の私生活なんてマルク債の如く堅実みたいに見える。

明け方の白い月のように

何年かに一度しか止まらないからこそ、その死は余計に宿命の避けがたい到来を思わせるのだ。朝、目が覚めて枕もとに針の止まった(あるいはデジタル数字の消えた)時計を発見することは、ぼくにとってはいつも少なからざるショックである。明け方の白い月のように、その死はささやかな沈黙の包まれている。

引用:『村上朝日堂 はいほー!』 村上春樹

日出る国の工場

教育委員長が視察に来た小学校の教室みたい

しかしそれにしても静かだなあ。なんだか教育委員長が視察に来た小学校の教室みたいである。

四ツ谷警察署の取調べ室と平塚駅長室とのちょうど中間くらい

どう好意的に見ても印象的な部屋とは言いがたい。部屋の造作は四ツ谷警察署の取調べ室と平塚駅長室とのちょうど中間くらいである。

ライチャス・ブラザーズとホール&オーツくらい

1970年の僕の基本的ワードローブと1986年の僕の基本的ワードローブのあいだには、だいたいライチャス・ブラザーズとホール&オーツくらいの差しかないと考えていただければよろしいかと思う。

北の森のオオツノジカのように

この十五年あまり、映画館で見るアクション映画の予告編みたいな速度でいろんなファッション・スタイルが生まれては消えていったが、僕はそのあいだ北の森のオオツノジカのように進化とは無縁に生きてきたわけである。

廃棄された原子力船のように

革靴はいちおう茶と黒のリーガルのウィングチップを一足ずつ持っているが、これらは廃棄された原子力船のようにクローゼットの中でじっと眠り込んだままである。

引用:『日出る国の工場』 村上春樹

風の歌を聴け

まるで狡猾な猿のように

僕にその本をくれた叔父は三年後に腸の癌を患い、体中をずたずたに切り裂かれ、体の入口と出口にプラスチックのパイプを詰め込まれたまま苦しみ抜いて死んだ。最後に会った時、彼はまるで狡猾な猿のようにひどく赤茶けて縮んでいた。

まるで歩道に落ちた夏の通り雨のように

僕が瞼を下ろすと同時に、彼女が79年間抱き続けた夢はまるで歩道に落ちた夏の通り雨のように静かに消え去り、後には何ひとつ残らなかった。

安定の悪いテーブルに薄いグラスをそっと載せるような

「もしもし、」と女が言った。それはまるで安定の悪いテーブルに薄いグラスをそっと載せるようなしゃべり方だった

カクテル・グラスのようにひんやりとした

カクテル・グラスのようにひんやりとした小さな手で、そこには生まれつきそうだあるかのようにごく自然に、4本の指が気持ち良さそうに並んでいた。

古綿をつめこまれたような

煙草とビールのおかげで喉はまるで古綿をつめこまれたような味がする。

缶詰の鮭みたいに

それは10月にしては少し寒すぎる夜で、ベッドに戻った時には彼女の体は缶詰の鮭みたいにすっかり冷えきっていた。

ずれてしまったトレーシング・ペーパーのように

しかしそれはまるでずれてしまったトレーシング・ペーパーのように、何もかもが少しずつ、しかしとり返しのつかぬくらいに昔とは違っていた。

引用:『風の歌を聴け』 村上春樹

羊をめぐる冒険

影のように冷やり

トマトといんげんは影のように冷やりとしていた。

二流の女子大のコーラス部員みたい

服装も顔つきも平凡で、二流の女子大のコーラス部員みたいに見えた。

一人息子の写真でも見せるように

彼は一人息子の写真でも見せるようににっこりと微笑みながら

ほこりを払うようなしゃべり方

手袋で机の上のほこりを払うようなしゃべり方

天に向けてそびえ立つ巨大な機械装置の一個のボルトを思わせる冷ややかで硬質な三十分

それは天に向けてそびえ立つ巨大な機械装置の一個のボルトを思わせる冷ややかで硬質な三十分だった

薬用アルコールで見栄えよく磨き上げられた中古品の空

薬用アルコールで見栄えよく磨き上げられた中古品の空だった。

つつましい一家ならボンネットの中で暮らせそうなくらい巨大な車

つつましい一家ならボンネットの中で暮らせそうなくらい巨大な車だった

水銀の湖面を滑っているような

車は既に動いていた。まるで金だらいに乗って水銀の湖面を滑っているような気がした。

シャーベットとブロッコリをもりあわせたような感じ

まるで似合ってはなかった。ちょうど銀の平皿にシャーベットとブロッコリをもりあわせたような感じだった。

どちらから食べ始めればいいのか決めかねたまま餓死しつつあるといった類いの哀しみ

一頭の驢馬が左右に同量のかいばを置かれて、どちらから食べ始めればいいのか決めかねたまま餓死しつつあるといった類いの哀しみ

予告編つきの三本立て映画みたい

それだけの建物が予告編つきの三本立て映画みたいに丘の上に収まっている。

活火山でもあると似合いそう

「ずいぶん広いね ~中略~ 活火山でもあると似合いそうだね」

上りのエスカレーターを下に向かって降りているような

誰かが遠くでピアノの練習をしていた。上りのエスカレーターを下に向かって降りているような弾きかただった

新月のように部屋にしのびこんできた

受話器をとおして沈黙が新月のように部屋にしのびこんできた

金属製のクッキーの型を伏せたみたい

三階の窓から見下ろすと、車は潜水艦というよりは金属製のクッキーの型を伏せたみたいに見えた。

たっぷり日焼けさせたうえに一週間雨ざらしにして、それから地下室に放り込んでわざわざかびをはやしたといったタイプのオレンジ

布地のオレンジ色はかなり奇妙なオレンジ色だった。たっぷり日焼けさせたうえに一週間雨ざらしにして、それから地下室に放り込んでわざわざかびをはやしたといったタイプのオレンジ色だ

乾燥魚みたいな格好

応接セットの長椅子には頭の禿げた中年男が乾燥魚みたいな格好で寝転んでいた。

真白な画用紙を眺める時のような目つき

彼は真白な画用紙を眺める時のような目つきで僕の顔を眺めた。

肺病を病んだ大型犬みたいに

エレベーターは肺病を病んだ大型犬みたいにかたかたと揺れた

道路みたいに固く糊づけされたシーツ

アスファルト道路みたいに固く糊づけされたシーツ

引用:『羊をめぐる冒険』 村上春樹

海辺のカフカ

春の胞子のように

永遠に傷つくはずのないナイーブでイノセントな想いが、彼女のまわりに春の胞子のように浮かんで漂っている。

まるで斜めに傾いた額ぶちを見るみたいな

彼女は眉を寄せて、まるで斜めに傾いた額ぶちを見るみたいな目つきで僕の顔を見る。

戸棚の奥に忘れられていたパンを連想させる

声のトーンが硬くこわばっていて、戸棚の奥に忘れられていたパンを連想させる。

曇り空のような

どちらもデイバックを背負い、曇り空のような気むずかしい顔をしている。

冷えた古い星のように

日々の生活が私たちの心を支配し、多くの大事なことが、冷えた古い星のように意識の外に去っていきます。

風の強い日に運河の両岸に立って声を掛けあっているみたい

ちょっとした簡単なメッセージのやりとりにも手間のかかることの方が多かった。ひどいときには、風の強い日に運河の両岸に立って声を掛けあっているみたいな様相を呈することもあった。

犬の歯並びを点検するときのような

彼女はとなりに来て、犬の歯並びを点検するときのような目つきで僕の顔を見る。

動物の心みたいに硬くねじくれた

僕の手は、いじめられた動物の心みたいに硬くねじくれた灌木の枝にしか触れない。

いつも水平線をにらんでいる南の島の彫像みたい

夫のほうはやせて、硬い髪を針金のブラシで無理に寝かせたような髪型をしている。目が細く額が広く、いつも水平線をにらんでいる南の島の彫像みたいに見える。

水門の管理人みたい

運転手はきつい目をした若い男だ。バスの運転手というよりは水門の管理人みたいに見える。

引用:『海辺のカフカ』 村上春樹

国境の南、太陽の西

かくれんぼをしている小さな子供のように

それはかくれんぼをしている小さな子供のように、奥の方に身を潜めながらも、いつかは誰かの目につくことを求めていた

まるでレストランのいちばん奥の静かな席に、そっと予約済の札を立てておくように

彼女に対して僕の心の中の特別な部分をあけていたように思う。まるでレストランのいちばん奥の静かな席に、そっと予約済の札を立てておくように、僕はその部分だけを彼女のために残しておいたのだ。

母親がクラスの写真を見て、ため息をついて、「この子はなんていう名前? 綺麗な人ねえ」と言うようなタイプ

彼女はそれほど綺麗な娘ではなかった。つまり母親がクラスの写真を見て、ため息をついて、「この子はなんていう名前? 綺麗な人ねえ」と言うようなタイプではなかったということだ

まるで、白昼に無音の雷に打たれたようなもの

最初に彼女と顔を合わせたとき、僕は自分でも何がなんだかわけがわからないくらい激しく彼女に引かれることになった。それはまるで、白昼に無音の雷に打たれたようなものだった。

彼女が四十二歳で、子供が三人いて、お尻に二股の尻尾がはえていたとしても

彼女にもまた一応ボーイフレンドがいた。でもそんなことは僕らにとって何の妨げにもならなかった。もし彼女が四十二歳で、子供が三人いて、お尻に二股の尻尾がはえていたとしても、気にもとめなかっただろうと思う。

まるで不吉な予言が、ことあるごとに頭に蘇ってくるみたい

僕は眠れない夜に、よく彼の顔を思い出す。まるで不吉な予言が、ことあるごとに頭に蘇ってくるみたいに。

まるで玉葱の薄皮のように軽そうなカーディガン

まるで玉葱の薄皮のように軽そうなカーディガン

まるで美しい文章を吟味するみたいにカクテルを少しずつ飲んでいた

彼女はカウンターに頬杖をつき、ピアノ・トリオの演奏に耳を澄ませ、まるで美しい文章を吟味するみたいにカクテルを少しずつ飲んでいた

まるで噂でしか聞いたことのない極めて珍しい精密機械を前にしたときのように

僕は長いあいだ、まるで噂でしか聞いたことのない極めて珍しい精密機械を前にしたときのように、言葉もなく彼女の顔を見つめていた。

そのへんにある何もかもをお盆に載せてもっていきたくなるような笑顔

それは本当に素敵な笑顔だった。そのへんにある何もかもをお盆に載せてもっていきたくなるような笑顔だった。

風のない日に静かに立ちのぼる小さな煙のような微笑み

そしてかすかな微笑を口もとに浮かべた。風のない日に静かに立ちのぼる小さな煙のような微笑みだった。

彼女の目はどんな風も届かない静かな岩陰にある深い湧水のたまりのように

僕は島本さんの目を見た。彼女の目はどんな風も届かない静かな岩陰にある深い湧水のたまりのように見えた。

シャンプーの宣伝に出てきそうな綺麗な髪

六階でエレベーターを下りると、受付にはシャンプーの宣伝に出てきそうな綺麗な髪の女の子が座っていて、僕の名前を電話で義父に伝えた。

気取ったフランス料理店の支配人がアメリカン・エクスプレスのカードを受け取るときのような顔つき

身をかがめて彼女の額にキスした。彼女は気取ったフランス料理店の支配人がアメリカン・エクスプレスのカードを受け取るときのような顔つきで僕のキスを受け入れた。

どこか遠くの場所から吹いてくる柔らかな風のように

「そうね」と言って、いつものあの軽い微笑みを顔に浮かべた。その微笑みはどこか遠くの場所から吹いてくる柔らかな風のように思えた。

生命のしるしのない乾いた土地にひとりで取り残されてしまったように

僕は窓の前に立っていつまでも外の風景を眺めていた。ときどき自分が、生命のしるしのない乾いた土地にひとりで取り残されてしまったように感じられた。

まるで壁に書かれた大きな文字を読み上げているような声

「可哀そうな人」と彼女は言った。まるで壁に書かれた大きな文字を読み上げているような声だった。本当に壁にそう書いてあるのかもしれないなと僕は思った。

世界じゅうの青という青を集めて、そのなかから誰が見ても青だというものだけを抜き出してひとつにしたような青

空の端の方に一筋青い輪郭があらわれ、それが髪に滲むインクのようにゆっくりとまわりに広がっていった。それは世界じゅうの青という青を集めて、そのなかから誰が見ても青だというものだけを抜き出してひとつにしたような青だった

字が書けそうなくらいくっきりとした雲

墓地の上にひとつだけ雲が浮かんでいるのが見えた。輪郭のはっきりとした、真っ白な雲だった。その上に字が書けそうなくらいくっきりとした雲だった。

引用:『国境の南、太陽の西』 村上春樹

世界の終わりとハードボイルドワンダーランド

シーズン初めの野球場の芝生を思わせるような

私は彼女の姿を頭の中に思い浮かべてみた。彼女のはシーズン初めの野球場の芝生を思わせるような色あいのグリーンのブレザーコートを着て、白いブラウスに黒のボウタイを結んでいた。たぶんそれがレンタ・カー会社の制服なのだ。そうでなければ誰もグリーンのブレザーコートを着て、黒のボウタイを結んだりはしない。

十月革命の記録映画みたい

それから私は売店でポップコーンを十袋買い、そのうちの九袋を鳩のために地面にまき、残りの一袋をベンチに座って自分で食べた。鳩の群れが十月革命の記録映画みたいにいっぱいにあつまってきて、ポップコーンを食べた。

大みそかの南極基地

デューク・エリントンの音楽もよく晴れた十月の朝にぴたりとあっていた。もっともデューク・エリントンの音楽なら大みそかの南極基地にだってぴたりとあうかもしれない。

まるで鋭利な刃物で奥の方をえぐりとったように

十月三日、午前七時二十五分だ。月曜日。空はまるで鋭利な刃物で奥の方をえぐりとったように深くくっきりと晴れわたっている。人生をひきはらうには悪くない一日になりそうだった。

まるで閉館するホテルからソファーやシャンデリアがひとつひとつ運びだされているのを眺めているような

私は受話器を置いてから、もう二度とあの娘に会えないことを思って少し淋しい気持ちになった。まるで閉館するホテルからソファーやシャンデリアがひとつひとつ運びだされているのを眺めているような気分だった。ひとつずつ窓が閉められ、カーテンが下ろされていくのだ。

まるで小さな不確かな子供のよう

白いTシャツと小さな白いパンティーだけをまとった彼女の細い体はまるで小さな不確かな子供のように見えた。

あしかの水球チームに一人だけ人間がまじったみたい

「選択のしようがないから解決しているとも言えるし、自分で選択したわけでじゃないから解決したことにはならないとも言える。なにしろ今回の出来事に関しては僕の主体性というものはそもそもの最初から無視されてるんだ。あしかの水球チームに一人だけ人間がまじったみたいなものさ」

宮廷の専属接骨医が皇太子の脱臼をなおすときのような

よくわからない、そうかもしれない、と私が頭の中でつぶやいていると、ウェイターがやってきて宮廷の専属接骨医が皇太子の脱臼をなおすときのような格好でうやうやしくワインの栓を抜き、グラスにそそいでくれた。

氷山の裏側みたいに

ゲーム・センターの騒々しさに比べると金物店の中は氷山の裏側みたいに静かだった。暗い店の奥のカウンターには眼鏡をかけた髪の薄い中年の男が座って、ドライバーで何かを分解していた.

もみの木のように

洋菓子屋の店員はもみの木のように背の高い女の子で、紐の結び方がひどく下手だった。私は背が高くて手先の器用な女の子に一度もめぐりあったことがない。しかしそれが世間一般に通用する理論なのかどうか、私にはもちろんわからない。

アクロポリスの遺跡でも眺めるみたいに

人々はみんな傘をさして歩いていた。傘を持っていないのは我々二人だけだった。我々はビルの軒先にたってアクロポリスの遺跡でも眺めるみたいに長いあいだ町の風景を茫然と眺めていた。

ビニール・ラップを何重にもかぶせたような

ビニール・ラップを何重にもかぶせたようなぼんやりとした色の雲が一分の隙もなく空を覆っていて、そこから間断なく細かい雨が降りつづいていた。

J.G.バラードの小説に出てくるみたいな

一日か二日からりと晴れてくれればそれでいいのだ。そのあとでJ.G.バラードの小説に出てくるみたいな大雨が一ヶ月降りつづいたって、それは私の知ったことではないのだ。

まるで甲殻動物が季節のかわりめに殻を脱けだすような

十分ばかりあとで、彼は鍋を両手にかかえるようにして戻ってきてそれをストーヴの上に載せた。それからまるで甲殻動物が季節のかわりめに殻を脱けだすような格好で帽子とコートと手袋をひとつひとつ慎重に脱いでいった。

衰弱した小動物のように

テーブルの上には古い手風琴が衰弱した小動物のように身を縮めて小さく横たわっていた。

身寄りのない子供たちのように

スカートはぐっしょりと濡れて彼女の太腿に身寄りのない子供たちのようにぴったりとまつわりついていた。

白くてつるりとした中国野菜

彼女のふくらはぎは私に白くてつるりとした中国野菜を連想させた。

ドラマーが振り下ろそうとしたスティックを宙でとめて一拍置くような暫定的とも言えそうなかんじ

ドラマーが振り下ろそうとしたスティックを宙でとめて一拍置くような暫定的とも言えそうなかんじの一瞬の沈黙があった。

まるで誰かが巨大なロースト・ビーフをのっぺりとした壁に思いきり投げつけたときの音のよう

まるで誰かが巨大なロースト・ビーフをのっぺりとした壁に思いきり投げつけたときの音のようだった。扁平で湿り気があって、しかも有無を言わせぬ決意のようなものがこめられた音。

その小さな世界に完結したまま行き場所を失ってしまった一対の彫像のよう

僕はポケットから両手を出して、月の光の下でそれを眺めた。月の光に白く染まって手はその小さな世界に完結したまま行き場所を失ってしまった一対の彫像のように見えた。

春の熊のように

「(略)病院に入院したことある?」
「ない」と私は言った。私はだいたいにおいて春の熊のように健康なのだ。

干草をつんだ荷車がゆっくりと踏みこえていくような

傷は一定の時間をおいて鈍く傷んだ。腹の上を干草をつんだ荷車がゆっくりと踏みこえていくようなかんじの痛みだった。

TVドラマでいえば女主人公の友だちで、喫茶店でお茶を一緒に飲みながら「どうしたの?このごろなんだか元気ないじゃない?」とかなんとか質問するような

まあ美人の部類だったが、どこにでもありそうな顔だった。TVドラマでいえば女主人公の友だちで、喫茶店でお茶を一緒に飲みながら「どうしたの?このごろなんだか元気ないじゃない?」とかなんとか質問するような役まわりの顔だ。

元気の良い双子の男の子がその四本の足で私の限られた狭い想像力の枠を思いきり蹴とばしているみたい

私の腹の傷口は悪鬼のごとく傷んだ。元気の良い双子の男の子がその四本の足で私の限られた狭い想像力の枠を思いきり蹴とばしているみたいだった。

フォルクスワーゲン・ゴルフくらいの

誰も私の眠りをさまたげることはできない。私はトラブルの衣にくるまれた絶望の王子なのだ。フォルクスワーゲン・ゴルフくらいの大きさのひきがえるがやってきて私に口づけするまで、私はこんこんと眠りつづけるのだ。

インカの井戸くらい

私は目を閉じてインカの井戸くらい深いため息をつき、それからまた『赤と黒』に戻った。失ったものは既に失われたものだ。あれこれと考えたところでもとに戻るわけではないのだ。

外まわりの銀行員の皮かばんみたいに

聴いているだけで神経が擦り減ってしまいそうだった。私は首をぐるぐるとまわしてから、ビールを喉の奥に流しこんだ。胃は外まわりの銀行員の皮かばんみたいに固くなっている。

目覚めたばかりの原初の生物のように

僕はそこを立ち去る前にもう一度壁の姿を眺めた。壁は雪の舞う暗く淀んだ空の下で、その完璧な姿を一層際立たせていた。僕が壁を見上げると、彼らが僕を見下ろしているように感じられた。彼らは目覚めたばかりの原初の生物のように僕の前に立ちはだかっていた。

救済された魂みたいに

大男は次にヴィデオ・デッキを持ちあげ、TVのかどにパネルの部分を何度か思い切り叩きつけた。スウィッチがいくつかはじけとび、コードがショートして白い煙が一筋、救済された魂みたいに空中に浮かんだ。

ワインのコルク栓を眺めるのと同じような

大男は自分の破壊したドアを、ちょうど私が抜いたワインのコルク栓を眺めるのと同じような目つきでちらりと眺め、それから私の方を向いた。彼は私という人間に対してそれほどこみいった種類の感情は抱いていないように見えた。彼は私のことを部屋の備品か何かのように眺めていた。

引用:『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』 村上春樹

ダンス・ダンス・ダンス

狡猜な水のように

僕は念のためにライトを消してみた。でも同じだった。そこに光はなかった。完璧な闇が狡猜な水のように音もなく僕らを包んだ。

老人斑のような宿命的な

カーペットは擦り切れ、廊下はところどころへこんでいた。漆喰の壁には老人斑のような宿命的な染みがついていた。いるかホテルだ、と僕は思った。

木の葉の間からこぼれる夏の夕暮れの最後の光のような

「シェーキーズ」と五反田君は言った。「ピッツァでも食べないか?」
「僕は別に構わない。ピッツァは嫌いじゃない。でもそんなところに行って、君の顔は割れないかな?」
五反田君は力なく微笑んだ。木の葉の間からこぼれる夏の夕暮れの最後の光のような微笑みだった。「君はこれまでシェーキーズで有名人を見掛けたことある?」

広大な海面に降りしきる雨のような

結局のところキキは死ぬべくして死んでしまったのだという感じがした。
不思議な感じ方だったが、僕にはそういう風にしか感じられなかった。僕が感じたのは諦めだった。広大な海面に降りしきる雨のような静かな諦めだった。僕は哀しみをさえ感じなかった。魂の表面にそっと指を走らせるとざらりとした奇妙な感触があった。すべては音もなく過ぎ去っていくのだ。砂の上に描かれたしるしを風が吹きとばしていくように。それは誰にも止めようがないことなのだ。

上品な動物の清潔な内臓のひだのよう

それは質問ですらなかった。僕は彼女のブラウスの襟もとのレースを眺めていた。それは上品な動物の清潔な内臓のひだのように見えた。

品のいいゴミ箱みたいに

「気の毒だけれど、彼はそういうタイプの人間だったんだ」と僕は言った。「悪い男じゃない。ある意味では尊敬にさえ値する。でもときどき品のいいゴミ箱みたいに扱われる。」

まるでカフェ・オ・レの精みたい

すごく元気そうに見えるよ。日焼けがたまらなく魅力的だ。まるでカフェ・オ・レの精みたいに見える。

もしシリアスな宇宙人がそこに居合わせたらたぶんタイム・ワープか何かだと思っただろう

ビールがなくなるとカティー・サークを飲んだ。そしてスライ&ザ・ファミリー・ストーンのレコードを聴いた。ドアーズとかストーンズとかピンク・フロイドとかも聴いた。ビーチ・ボーイズの「サーフズ・アップ」も聴いた。60年代的な夜だった。ラビン・スプーンフルもスリー・ドッグ・ナイトも聴いた。もしシリアスな宇宙人がそこに居合わせたらたぶんタイム・ワープか何かだと思っただろうと思う。

セルゲイ・ラフマニノフみたいな深刻な

僕らはハレクラニのバーに行った。プールサイド・バーじゃない方の室内のバーだった。僕はマティーニを飲み、ユキはレモン・ソーダを飲んだ。セルゲイ・ラフマニノフみたいな深刻な顔をした髪の薄い中年のピアニストが、グランド・ピアノに向かった黙々とスタンダード・ナンバーを弾いていた。

静かな水面に木の葉が落ちた時のように

「悪かった」
それから彼女は僕の顔を見た。彼女の目は一瞬凍りついたように見えた。瞳がふっとその色を失い、静かな水面に木の葉が落ちた時のように表情が微かに揺れた。

線を切られてしまった電話機のような

でももう何の物音も聞こえなかった。
全ては死に絶えていた。線を切られてしまった電話機のような完璧な沈黙だった。

抑圧された夢みたいに

二人は抑圧された夢みたいに妙にリアルな非現実性を漂わせながら、僕の視点を右から左へとゆっくりと横断して消えていった。

あたかも妥当な場所に気のきいた装飾句を挿入するかのように

それからアメは僕のところに来て、隣に腰を下ろし、シャツのポケットからセイラムの箱を出して紙マッチで火をつけた。詩人はどこかから灰皿を持ってきて、それをテーブルの上に優雅にとんと置いた。あたかも妥当な場所に気のきいた装飾句を挿入するかのように。

家の回りに何千人もの透明な沈黙男がいて、透明な無音掃除機でかたっぱしから音を吸い取っているような

何か音がしてもそれはあっとういう間に痕跡ひとつ残さず静けさの中に吸い込まれてしまった。家の回りに何千人もの透明な沈黙男がいて、透明な無音掃除機でかたっぱしから音を吸い取っているような気がした。

清潔な疫病神のように

ディスク・ジョッキーはノン・ストップでポップ・ソングを流しつづけていた。そんなわけで、僕はその春に流行っていた曲をよく覚えている。マイケル・ジャクソンの唄が清潔な疫病神のように世界を覆っていた。

ピカソの「オランダ風の花瓶と髭をはやした三人の騎士」

牧村拓はまた黙ってゴルフ・クラブを睨んでいた。
「変わっている」と彼は言った。「君は俺に何かを連想させる。なんだろう?」
「何でしょうね?」と僕は言った。何だろう? ピカソの「オランダ風の花瓶と髭をはやした三人の騎士」だろうか?

まるで沖の方で誰かがシーツをそっと揺すっているみたいに

町中を抜けて辻堂の海にでると、僕は松林のわきの駐車スペースの白い線の中に車を停めた。車の姿は殆どなかった。少し歩こうと僕はユキに言った。気持ちの良い四月の午後だった。風らしい風もなく、波も穏やかだった。まるで沖の方で誰かがシーツをそっと揺すっているみたいに小さく波が寄せ、そして引いていった。

二日酔いの朝みたいに薄暗くて物哀しい

ユキはしばらくして二日酔いの朝みたいに薄暗くて物哀しいフィル・コリンズの唄にあわせてハミングしてから、もう一度サングラスを手にとってつるをいじった。

淀んだ深い川のように

午後は淀んだ深い川のように静かに流れていった。こつこつという時計の音が部屋に響いているだけだった。

まるで玄関マットを見るときのような

少しすると彼の知り合いらしい四十前後の身なりの良い男がやってきて、彼の肩をぽんと叩き、よう、久し振りと言った。きらきらと眩しくて思わず目をそらせたくなるような見事なロレックスを腕にはめていた。彼は最初に五分の一秒くらいちらっと見たが、僕の存在はそれっきり忘れられた。まるで玄関マットを見るときのような目付きだった。

ききわけの良い巨大な魚のように

五反田君は一時間ほどしてから来てくれと運転手に言った。メルセデスはききわけの良い巨大な魚のように、音もなく夜の闇の中に消えていった。

しんとした夜更けによく響く鐘をうち鳴らしたみたいに

僕は五反田君の声のことなんてそれあで気にしたこともなかったし、思い出したこともなかったけれど、それでもその声はしんとした夜更けによく響く鐘をうち鳴らしたみたいに僕の頭の片隅にこびりついていた潜在的記憶を一瞬にしてありありと蘇らせた。たいしたものだな、たしかに、と僕は思った。

暗流を遡る冷ややかな鮭の群れのように

渋谷に着いた時にはもう日は暮れていた。坂の上から見ると、色とりどりのネオンがともり始めた街の通りを、黒々としたコートに身を包んだ無表情なサラリーマンたちが暗流を遡る冷ややかな鮭の群れのように均一な速度で流れていた。

ひびの入ったダチョウの卵を温めるみたいな

「ねえ」とユキが言った。そして少し間を置いた。「あなた札幌のあのホテルで羊の毛皮をかぶった人を見たでしょう?」
僕はひびの入ったダチョウの卵を温めるみたいな格好で 電話機を胸に抱えてベッドに腰を下ろした。

何かしら非現実的な材料で作った精密な彫像みたいに

ユキは飛行機が離陸するとすぐに眠りこんでしまった。彼女の寝顔はすばらしく綺麗だった。何かしら非現実的な材料で作った精密な彫像みたいに美しかった。

ドイツ・シェパードが立ったまま一匹入りそうなくらい

十分後に女の子がボーイと一緒にロビーに下りてきた。ボーイはサムソナイトの大きなスーツケースを持っていた。ドイツ・シェパードが立ったまま一匹入りそうなくらい大きなスーツケースを持っていた。

新月のように淡く物静かな

「もちろん会えるよ」と僕は言った。
彼女は新月のように淡く物静かな微笑みを浮かべた。

冷凍された死体のように

雪はますます激しく降り、殆ど前も見えないくらいだった。街全体が冷凍された死体のように絶望的に固く凍りついていた。

猿が粘土を壁にぶっつけるみたい

彼はハンサムで感じがいいだけではなく、過去の傷を背負っていた。学生運動にかかわってどうこうとか、恋人を妊娠させて捨ててどうこうというようなかなり月並みな傷だったが、まあ何もないよりはましだった。ときどきそういう回想が猿が粘土を壁にぶっつけるみたいに不器用に挿入された。

猛烈なスピードで走る特急列車の窓から駅名表示を読み取ろうとするときの

何かを考えるには僕の頭は疲れすぎていたが、かといって眠ることもできない。僕の体と精神の殆どの部分は眠りを希求していた。それなのに頭の一部が固くこわばったまま頑なに眠ることを拒否して、そのせいで神経がいやにたかぶっていた。それはちょうど猛烈なスピードで走る特急列車の窓から駅名表示を読み取ろうとするときの苛立たしさに似ていた。

引用:『ダンス・ダンス・ダンス』 村上春樹